モータースポーツのスポンサードについて
広告会社に入社して配属されたのが、東京の国際部でした。考えてみれば飛行機も乗ったことのない人間が国際部・・なんて、今では考えられない配属ですよね。おかげ様で最初の出張が、アメリカ・・・といっても、近場のグアム島でした。
ただ、海外も初めて、おまけに国内線を飛び越して最初の飛行機が国際線でした。上司からの指令は、旅行会社を使わず、パスポートからビザ、エア、宿の手配は全て自分でやることでした。宿は日本や日系ホテルはNGで、宿とレンタカーの予約は空港のイエローページで探すことでした。でも、この出張が今でも一番楽しい海外(旅行??)となりました。エアは偶然にもANAのグアム就航便で、歓迎され、人生初めてハグを体験しました。その他、レンタカー自体が初めて、ホテルは米軍御用達で、隣の射撃場で初ピストル、現地のステーキは軽く1キロあり、レアが通じず、厨房に通され、自分で焼きに行きました。相席してきた男と盛り上がり、たばこを進められ(大麻でないことを祈りましたが)気分が悪くなり、宿まで送ってくれました。一歩間違えば怖い話です。また、ある日、追突された(軽くですが・・)ので、レンタカー屋に電話して、説明すると、追突した相手にも電話をかわり、結果「no problem」、何故か握手を求められ、それで解決です。おおらかな国、自動車大国だと実感しました。電話で驚いたのは、バンパーの傷くらいでは警察など呼ばないということでした。因みに、右側通行も初体験。その他、実は怖い目にも遭いましたが、楽しくて、不思議満載の出張でした。さて、長くなるのでこのあたりに本題に入ります。
配属当時、クライアントさんにダンロップ(住友ゴム)があり、自身がゴルフ部だったのでワクワクしましたすが、担当がタイヤ、しかもレース担当になり、富士スピードウェイや鈴鹿サーキットでのイベントプロモーションが業務でした。現場に行ってわかりましたが、海外のメカニックや選手が多く、特に二輪では当時世界的にもダンロップが強かったので、メカや選手とのコンタクトで、(大した語学力ではありませんが)重宝がられました。時は、バブルに向かっていく時代だったので、F1をはじめカーレース(正確にはモータースポーツ)のスポンサーには、一流企業が犇めいてました。また、キャンペーンガール(当時キャンギャル)には、国内のJJ、ViVi、cancamという3大ファッション誌のトップモデルが軒並み大集合していました。中でも、我々ダンロップとブリヂストンのキャンペーンガールになることがモデルたちに大人気でした。ちなみにキングカズの奥さんも当時はJJのトップモデルで、サーキットではしばしば見かけました。ダンロップは、僕が担当した、3代のうち、2代(望月知子さんと中山恵美さん)は、キャンギャルの中のクイーンに輝きました。彼女たち、今はどうしてるのか気になるところです。
当時、隆盛を極めていたのが、F3000というクラスでした。現在は全日本スーパーフォーミュラーになりましたが、F3000は当時、国内最高峰のレースで、F1への登竜門としても知られてました。50代の方なら、鈴木亜久里と聞けば懐かしいでしょうが、彼が国内で最速の男で、中嶋悟さんが世界で活躍していたレース界の第一人者だったのです。マッチこと近藤真彦さんがレースを始めたのもこの時代です。
現在のモータースポーツも、世界的に見れば、F1やインディー、WRC(世界ラリー)など、大人気のモータースポーツですが、国内では長らく下火であることは否めません。理由のひとつとしては、強い選手や若い世代は国内を飛ばして最初から海外に飛び出すようになったことでしょうか。また、僕がしばしば問題提起する国内のスポーツビジネスの弱点で、企業一辺倒の支援ということです。それがあらゆるスポーツの根底にあり、企業がこけるとスポーツもこけるという具合になります。また、あまり世間では知られていないデータですが、スポーツ好き(プレーしたり観戦すること)の絶対数が欧米、特にスポーツ大国アメリカの1/20くらいだということです。従って、ファンが下支えするにも限界があるということになります。このフリー企画書のコーナーにもアップしていますが、このあたりのことを結構調べたことがございます。
日本人は、ラグビーであれ、サッカーであれ、世界大会などでは、一気に盛り上がりますが、その熱は、決して長くは続きませんよね。それと、複数のスポーツに熱狂的になるファンも少ないです。もちろん、複数のスポーツをすることも少ないです。これには、教育や経済も深く関係しているのです。
教育面から言えば、小学校や中学校の授業では、個々のスポーツ競技の選択肢がなく、体育はあくまで学習指導要領通りに、「運動の楽しさと喜びを味わう」「健康安全に留意して公正さを育てる」などが目標とされ、具体的な個々のスポーツは、バスケ、ソフト、サッカー以外には取り扱わないのです。また経済的な側面から言えば、「土地代」ですね。日本には、平地が少なく、そこに人が集中していることで、地代が高く、それがスポーツにも間接的に大きく影響しています。それに対して、アメリカでは、土地はただ同然で使用できるし、ゴルフやスキーでも、多くの大学が保有しています。また、州によって異なりますが、ほとんどの小学校で、個々のスポーツ競技が選択できます。そしてそれらは、地元のクラブチームとつながり、それを地元自治体や地元の企業、財団がサポートしているのです。そう考えると、モータースポーツなどは論外ですよね。
若者のくるま離れなど言われ続けていますが、大学の講義の際、必ず学生に質問することが、車についてです。そして、決まって免許証の取得の面倒さと費用の高さが彼らの壁になっていることがわかります。自動車業界は率先して改善運動に努めれば良いのに、30年前と全く変わっていません。20年前に、先進国に先駆けて「IT大国宣言」をしたものの、今では「IT後進国」です。まあ、既得権益だらけの国会議員や官僚が変わらなければ下流のスポーツ事情も変わらないということでしょう。
ということで、本日のフリー企画書は、強豪レーシングチームのセールスシートです。興味のある方は、旧知の仕事仲間がチーム運営に携わっていますので、ご紹介致します。もちろん、紹介料等一切頂きませんのでお気軽にお問い合わせください。
ただ、海外も初めて、おまけに国内線を飛び越して最初の飛行機が国際線でした。上司からの指令は、旅行会社を使わず、パスポートからビザ、エア、宿の手配は全て自分でやることでした。宿は日本や日系ホテルはNGで、宿とレンタカーの予約は空港のイエローページで探すことでした。でも、この出張が今でも一番楽しい海外(旅行??)となりました。エアは偶然にもANAのグアム就航便で、歓迎され、人生初めてハグを体験しました。その他、レンタカー自体が初めて、ホテルは米軍御用達で、隣の射撃場で初ピストル、現地のステーキは軽く1キロあり、レアが通じず、厨房に通され、自分で焼きに行きました。相席してきた男と盛り上がり、たばこを進められ(大麻でないことを祈りましたが)気分が悪くなり、宿まで送ってくれました。一歩間違えば怖い話です。また、ある日、追突された(軽くですが・・)ので、レンタカー屋に電話して、説明すると、追突した相手にも電話をかわり、結果「no problem」、何故か握手を求められ、それで解決です。おおらかな国、自動車大国だと実感しました。電話で驚いたのは、バンパーの傷くらいでは警察など呼ばないということでした。因みに、右側通行も初体験。その他、実は怖い目にも遭いましたが、楽しくて、不思議満載の出張でした。さて、長くなるのでこのあたりに本題に入ります。
配属当時、クライアントさんにダンロップ(住友ゴム)があり、自身がゴルフ部だったのでワクワクしましたすが、担当がタイヤ、しかもレース担当になり、富士スピードウェイや鈴鹿サーキットでのイベントプロモーションが業務でした。現場に行ってわかりましたが、海外のメカニックや選手が多く、特に二輪では当時世界的にもダンロップが強かったので、メカや選手とのコンタクトで、(大した語学力ではありませんが)重宝がられました。時は、バブルに向かっていく時代だったので、F1をはじめカーレース(正確にはモータースポーツ)のスポンサーには、一流企業が犇めいてました。また、キャンペーンガール(当時キャンギャル)には、国内のJJ、ViVi、cancamという3大ファッション誌のトップモデルが軒並み大集合していました。中でも、我々ダンロップとブリヂストンのキャンペーンガールになることがモデルたちに大人気でした。ちなみにキングカズの奥さんも当時はJJのトップモデルで、サーキットではしばしば見かけました。ダンロップは、僕が担当した、3代のうち、2代(望月知子さんと中山恵美さん)は、キャンギャルの中のクイーンに輝きました。彼女たち、今はどうしてるのか気になるところです。
当時、隆盛を極めていたのが、F3000というクラスでした。現在は全日本スーパーフォーミュラーになりましたが、F3000は当時、国内最高峰のレースで、F1への登竜門としても知られてました。50代の方なら、鈴木亜久里と聞けば懐かしいでしょうが、彼が国内で最速の男で、中嶋悟さんが世界で活躍していたレース界の第一人者だったのです。マッチこと近藤真彦さんがレースを始めたのもこの時代です。
現在のモータースポーツも、世界的に見れば、F1やインディー、WRC(世界ラリー)など、大人気のモータースポーツですが、国内では長らく下火であることは否めません。理由のひとつとしては、強い選手や若い世代は国内を飛ばして最初から海外に飛び出すようになったことでしょうか。また、僕がしばしば問題提起する国内のスポーツビジネスの弱点で、企業一辺倒の支援ということです。それがあらゆるスポーツの根底にあり、企業がこけるとスポーツもこけるという具合になります。また、あまり世間では知られていないデータですが、スポーツ好き(プレーしたり観戦すること)の絶対数が欧米、特にスポーツ大国アメリカの1/20くらいだということです。従って、ファンが下支えするにも限界があるということになります。このフリー企画書のコーナーにもアップしていますが、このあたりのことを結構調べたことがございます。
日本人は、ラグビーであれ、サッカーであれ、世界大会などでは、一気に盛り上がりますが、その熱は、決して長くは続きませんよね。それと、複数のスポーツに熱狂的になるファンも少ないです。もちろん、複数のスポーツをすることも少ないです。これには、教育や経済も深く関係しているのです。
教育面から言えば、小学校や中学校の授業では、個々のスポーツ競技の選択肢がなく、体育はあくまで学習指導要領通りに、「運動の楽しさと喜びを味わう」「健康安全に留意して公正さを育てる」などが目標とされ、具体的な個々のスポーツは、バスケ、ソフト、サッカー以外には取り扱わないのです。また経済的な側面から言えば、「土地代」ですね。日本には、平地が少なく、そこに人が集中していることで、地代が高く、それがスポーツにも間接的に大きく影響しています。それに対して、アメリカでは、土地はただ同然で使用できるし、ゴルフやスキーでも、多くの大学が保有しています。また、州によって異なりますが、ほとんどの小学校で、個々のスポーツ競技が選択できます。そしてそれらは、地元のクラブチームとつながり、それを地元自治体や地元の企業、財団がサポートしているのです。そう考えると、モータースポーツなどは論外ですよね。
若者のくるま離れなど言われ続けていますが、大学の講義の際、必ず学生に質問することが、車についてです。そして、決まって免許証の取得の面倒さと費用の高さが彼らの壁になっていることがわかります。自動車業界は率先して改善運動に努めれば良いのに、30年前と全く変わっていません。20年前に、先進国に先駆けて「IT大国宣言」をしたものの、今では「IT後進国」です。まあ、既得権益だらけの国会議員や官僚が変わらなければ下流のスポーツ事情も変わらないということでしょう。
ということで、本日のフリー企画書は、強豪レーシングチームのセールスシートです。興味のある方は、旧知の仕事仲間がチーム運営に携わっていますので、ご紹介致します。もちろん、紹介料等一切頂きませんのでお気軽にお問い合わせください。
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